楽器と私・・・音を考える

先日いろいろ考えさせられた出来事があった。

私のような打楽器奏者はいつも、物を素手やバチの類で叩いて音を出す、かなり暴力的な行為を用いて音を出す。

叩く相手は、太鼓のような皮を張ったもの(最近は本当の皮を張っていないものも沢山あるが)、木で出来たもの、金属で出来たもの、そして近年作られたプラスチック製のもの。

番外編としては、ボディーパーカッションのように自分(たまに他人)の身体や、ガラス製のボトルやら、貝、石、紙など、叩いたり擦ったり振ったりして音が出るものはすべてパーカッションの楽器として扱う、なんでも屋さんだ。

クラシックの打楽器奏者でも、けっこういろいろなことを要求される。

私が経験した例では、

あわせシンバルを普通に叩いた後、床に落して音を出す。(シンバルはオーケストラで一番ぼろい物を使ったが、裏返ってオチョコ状態になり、終わったから直した)

あわせシンバルでドラを挟んで、両側から打つ。

普通によく出てくるのは、シンバルやドラのような金属の楽器を、叩きながら水に出し入れして音を変化させる。

師匠であり世界的マリンバ奏者である安倍圭子先生は、以前作曲家の方に、曲の終わりに(最初では成り立たないか)鍵盤を金槌で叩き割ってくれと言われて、お断りしたそうだ。

打楽器やっていたら、太鼓のヘッド(皮の部分)はメチャクチャしなくても、使用とともに劣化してボコボコになったり、時には破けたりする。

木製の木魚やウッドブロックなんて、打ち所悪けりゃ(というか叩き方)一発でヒビが入って使いものにならなくなる。コンともポコともいわなけりゃ、ただの置物だ。

学生の頃、打楽器アンサンブルの曲で「キハーダ」という楽器を使うため楽器屋さんからわざわざ取り寄せて、手にして試しに叩いた一撃で骨が砕けてお釈迦になった。(先輩が担当だった)

※キハーダは動物(馬だったような…)の顎の骨の部分で、叩くと歯がカタカタ振動する音が面白い楽器。ビブラスラップ(与作で出てくる、「ッカァ~~~~」って音)という楽器の原型。

ついでにマリンバ弾きは思い余って強打したために鍵盤割って、数万円の痛い出費に泣かされた経験が一度や二度はあるのではないか?(私はあります、若い頃にね)

だからどうしたら破壊せずに破壊的な「叩く」という行為を行うか、経験から学んでいる(と思う)。

ロックスターは舞台上でギターを破壊したり燃やしたり、そんなこともしてきた。

私には故意に楽器を破壊することは出来ない。

でも最近即興演奏をやっていて、時々考えてしまう。

パフォーマンスとしてどうしてもやりたくなったら「何でもアリ」なのか?

インパクトのある行為で、必要となれば「あり」?

わからない。

楽器の種類にもよるかもしれない。

もしも数千万円のヴァイオリンだったら、、、NO だよね。

数千円で買えるウッドブロックだったら、いいのかな?

でも、私には出来ない。同じ音のウッドブロックには二度とお会いできないかもしれないから。

買う時も音を聴いて選ぶ。

「買う」を「飼う」に変換してしまったけど、「飼う」って感覚に近いかも。

私にとって楽器は、生き物と同じ。

だから壊れたら、とっても悲しい。

叩いた時の音を聞けば、楽器が悲鳴を上げているのか、心地よく鳴り響いているのかがわかる。

無駄な力が加われば、もの凄い悲鳴をあげるし、それを無視すれば二度と元気な音を出してくれなくなる。

ピアノの内部奏法も、安心して聴いていられる時と、不安で不安でパフォーマンスに集中できない時がある。

きっと私にとって、ピアノは子どもの時から慣れ親しんだ楽器だから、なんだか他人とは思えないのかな。

どこまでが特殊奏法として認められ、どこまでが破壊行為と見なされるのか?

私にとっては、特殊奏法もアリだけど、楽器が二度と元の音が出せない再生不可能な状態になるような行為は、バツ!!

最近、そんなことを考えてしまう私でした。

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