カラダと向き合うこと 自分と向き合うこと

昨年末から、真面目にカラダと向き合っています。

カラダと向き合うって、どういうことなのか?

人によって様々な向き合い方があると思うのですが、私の場合はカラダよりもアタマやココロで考えることを優先する使い方をしてきました。これは意識してやってきたわけではなく自然にやっていたことなので、7~8年前にヨガの先生に指摘されて始めて気がつきました。それから身体に向き合うことを意識するようになったのですが、意識すればするほど思考に偏っていってしまい、「緩める」為に通ったヨガの教室に行っても、反対に「締め付け」てしまうので、結局5年間頑張ったけれど辞めてしまいました。

昨秋にカラダが意思についていくことにいよいよ耐えられなくなって悲鳴を上げたため、もう一度真面目にカラダと取り組まないとこのままでは前に進めないと思いました。

具体的には、朝目が覚めたら左右上下の奥歯がとても痛くて、なにも噛めなくなっていました。原因がわかっていれば驚かないのですが、まったくわからず・・・。一週間前に久々に歯医者さんで検診を受けて(レントゲンも撮った)異常もなく、歯石を取り除いて歯磨きの注意点を教えていただいたばかり。どう考えても虫歯とは思えず・・・。

頚椎症のせいで時々頭痛や首痛になることがあるので、もしかしたら頚椎症が悪化したのかと行きつけの整形外科にってはみたものの、原因はわからず。

これはお医者さんで治すものではなくて、私自身がもっとカラダの声を聴かねばならないということかと思い、では誰に相談したものか?と考えて思いついたのが、昨年出会ったアトリエ・ドミノのお二人鴨下易子さんと平手小百合さん。

昨年5.6月にダンス×クラシックという企画で演劇のフェスティバルで演奏させていただいたのですが、ここで「フェルデンクライス・メソッド」のワークがあって参加した時に、「これはいつか真面目に取り組んでみたい。」と感じ心に留めていました。すぐにメールで事情をお伝えして、とにかく試してみようということになりました。

ドミノのHPのはじめに書いてある文。

アトリエ・ドミノは様々な活動の場での『声・ことば・からだ』に対して

活動モード(ON)ととリラックス・モード(OFF)との切り替えを、より快適で

スムーズにするための「メンテナンス」と「調律」をするラボです。

そしてお勧めの対象に、「頑張り過ぎて疲れてしまい、仕事をしていない時も緊張がとけない状況を癒しや治療ではなく、自分で改善したいと思っている方」、という文があります。

これこれ、これ私だわ!!何やっても必要以上に常に頑張っちゃって、後で疲れて動けなくなる。リラックスする方法がわからなくなってしまった私。

ドミノの先生お二人は、フェルデンクライス・メソッド、トマティス・メソッド、ピラティスを学んだだけではなく、いろいろな視点からカラダを視ることが出来るプロです。レッスンを受ければ受けるほど、その奥の深さに驚くと同時に興味が湧いてきます。

骨格から筋肉の使い方、人種の違い、文化の違い、言語、気候・・・、カラダに影響する諸々に対して知識と経験でひとりひとりのカラダの違いに、的確な方法やアドバイスで取り組まれます。

細かいことは説明しきれないので、HP(アトリエ・ドミノ)を観ていただけたらと思います。

私の感じたことを書いてみたいと思います。

今までカラダのことをイメージしたとき、筋肉までは意識できても骨まではイメージできませんでした。打楽器奏者として、手首のことは骨の動きを意識していますが、それ以外はまったく骨は無視していました。

カラダというと、自分の感じる部分を骨も筋肉も一緒に捉えていたと言った方が解りやすいかもしれません。

骨格の標本があって、骨がどのように繋がっているのか、どのように動いているのかを目で確かめてチェックします。

カラダを動かして、骨の動きを感じてみるのですが、ヨガなどとは違って筋肉ではなく、あくまでも骨なので本当に小さなゆったりとした動きだけです。

初めて行った時に「汗をかいたりしないので、暖かい格好で大丈夫です。」と言われたのが、後で納得できました。

小さな静かな動きをするのは、けっこう慣れていなくて、最初は難しかったです。

でも緩やかに動いているうちに、だんだん神経が穏やかになって緩んできて、いつも感じていたことの数十倍くらい感覚が研ぎ澄まされていきます。

どんなことをしても、最後は立ち上がって歩いてみる。すると今までと何か感触が違うことに気が付きます。手が自由にブラブラ動いたり、ちょっと猿になったみたいに2足歩行が新鮮になったり。少し上体を調整して頭を上げてみると、人間になった気がしたり。

家で沢山練習したり訓練をする必要はなくて、カラダが求めるままに時々思い出してみたり、不具合があるときに教えていただいた方法でメンテナンスしたりするだけ。

ヨガに行っていたときは「毎日自主的に練習しないと元に戻ってしまうから」と言うことで、忙しくて練習できなかったりやる気が起きない自分に常に罪悪感を覚えていたのですが、今回はとっても気持ちも楽。

急激な変化は無かったし、学んでいる途中で右手の親指の付け根が痛くなったり、「効果はあるのか?」と悩んだりもするのですが、ゆっくりと変化していくことや変化の途中が苦しいこと、困ったことはすぐ相談できて必ず何かしら助言がいただけることが大きな安心感となりました。

今もまだまだ発展途上の真っ只中ですが、今まで恐らく勘違いしていたヨガのポーズも「本当はこうなるんだな~」、と緩め方が解ってきたり、いつも電車で座れるとカラダがガチガチになってしまうのを、「座り歩きの膝バージョン」という方法で克服しつつあったり、肩が内側に入っていたのが少し外に向いて腕が楽にぶら下がるようになったり・・・。

変化を実感する毎日です。

こころとカラダを繋げることを強く勧めてくださったダンスセラピー・ワークの原キョウコさんがいつも、「カラダはアタマよりも自分のことを教えてくれる」と仰っていたけれども、ドミノの先生方もまったく同じことを仰いました。

(原キョウコさんの「ダンスセラピーを通じて伝えたいこと」を観ていただければ、詳細がわかります。)

まず自分の骨に立ち返ることで大きな変化がありました。

骨を感じると、自分の中心を簡単に戻れるようになりました。

緊張しやすいし、すぐ夢中になるとカラダのことを忘れて突っ走ってしまうのが癖になっていたのですが、「おっと、危ない危ない」と気持ちを骨に向けると、力が抜けやすくなりました。

それから、トマティス・メソッドも学び始めて、カラダの使い方で耳の聴こえ方が変わったり、聴き方が変わると自分の声が変わったりカラダの使い方も変わったり・・・。鶏と卵みたいですが、とにかく連動するんです。

即興のパフォーマンスで声を使うようになってから、移動の車の中でよく好きなCDをかけて、声をなるべく似せて歌う遊びをしているのですが(これがいい発声練習になっています)、いままで出しにくかった言葉や音程のところで今トマティス・メソッドのときに使っているフランス語の音声を思い出して声を出すと、楽に声が出るようになりました。

これについても説明を受けたのですが、ここで詳しくかけるほどしっかりと理解できていないので省略しますが、変化の理由はあるんです。

最近楽器の音色について、今一度見直ししようと考えています。

先日、尊敬するピアニストの千野秀一さんのライブを聴かせていただき、またまた発見が沢山あったのですが、終了後千野さんとお話していて「どれだけ楽器を響かせられ、表現できるのか」ということを話されていました。

空間のことや、響きについて、クラシック音楽では特に大事なことで、私は音については思いっきりこだわりがあるのですが、最近小さなライブハウスで演奏したり大音量の中で演奏することが増えて、ちょっと響きについて大きく捉えられなかったと気が付きました。

カラダをメンテナンスすることは、自分のカラダをいかによく響かせるかといった感覚にも似ていると気が付きました。

背が低い小柄な私が、いかに大きな音を無理なく出すか?、手が小さくて、右手の中指も病気で曲がってしまった私がどうやって楽に撥を使って演奏するのか?

無いものを手に入らないと言って一生泣いて暮らすより、有るものを使っていかに希望に近づくか研究し続ける方が楽しいから、きっとカラダともココロとも仲良く付き合っていける道を歩みたいですね!!

そんなわけで、私のカラダメンテナンスの旅は、まだまだ続きますが、また何か書きたくなったらアップしていきます。

最後まで読んでくださって、有難うございました。

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