歳を重ねるということを考えさせられた。
今の年齢でこんなことを言うと、「まだまだ若いよ!!」と叱責してくれそうな素敵な大先輩が沢山いますが・・・。
はっきり言って、歳をとるにつれて私は生きやすくなってきたと思う。
幸せなことだ。
もっと歳をとったら、そんなこと言ってられなくなるのかもしれないけれど、人生の折り返し地点は恐らく過ぎているだろう今、歳をとることが嫌なことではないと思えるのだから、やっぱりじゅうぶん幸せなことだと思う。
そして、このように「幸せだな~~。」と思っている日もあれば、「もう何もかも嫌~~!!」と思う日もあるのが事実。
それでも、「幸せだな~~。」と思えること自体、感謝だ。
昨年11月からカラダのメンテナンスに取り組んできたけれど、カラダが変化するにつれてココロにも変化が表れてきている。
果たしてカラダとココロというふうに2つの要素で全てが括れるものでもないのだと思う。
でも自分に理解しやすい要素として、カラダとココロと考えるとわかりやすい。
人によって、カラダから動くタイプと、ココロから動くタイプと分けたら、私はココロから動くタイプだと思う。
小学校までは外で遊んだり動き回っていたけれど、中学で吹奏楽に出会い音楽中心の生活になってから、カラダは部分的にしか使わなくなった気がする。
何かスポーツでも得意なものがあったりすればよかったけれど、本当にバカみたいに真面目に音楽中心だった・・・、ず~~~っと。
もともと考えるのが好きだったし、楽器を演奏するための部分的な身体の使い方はマスターしたけど、全体性は無かった。
若い時はそれでも身体を無理やり使えていたのが、最近無理になってきて、メンテナンスを余儀なくすることになった訳ですね。
今、もう一度足から頭まで、見直ししている。
繋がっているはずのカラダを部分部分で感じていたことが判明。
脇や腰の辺りも、無視していた。
肩や首がよく痛くなるのでずっと気にしていたけれど、実は肩と首の問題ではなくて、身体全体の問題だとわかった。
問題と言うと、ちょっと違うかな??関連しているということ。
そして、ココロとカラダがとても密接に繋がっていて、緊張は筋肉ととても連携していることもわかった。
今までアタマでウンウン悩んだり不安がったりしていた時に、筋肉がキュ~~ッと固まってしまっていたのもわかった。
でもアタマと言うかココロ中心だったので、カラダがどうなっているかなんて全く気にせず。
カラダさん、今まで無視してごめんなさい!!
バランス悪過ぎですね。
カラダさんもココロさんも、それぞれに分散して頑張っていただかないと、バランス崩れてしまうのですね。
とまあ、そんなことをこの歳になって学んでいる訳だが、まだ取り組むことが山のようにあるという事は、実に楽しい。
解明したりトライしたいと思うことがある限り、新たに発見したり理解することがまだまだある。
本当に嬉しいことです。
最初に書こうと思ったこととだんだんずれてきたけど、とにかく有難いことだと感謝。