この夏、立ち止まったついでにカラダのメンテナンスを兼ねて、一年半ぶりにアトリエ・ドミノアトリエ・ドミノに行くことにしました。
前回はじっくりと取り組んだことで、長年試行錯誤してもわからなかった 自分に合うカラダの使い方がやっと見つかった感じでした。
しかも レッスンに行かなくなって時間が経っても、まだ進化を続けているのを感じる時がありました。
特別なエクササイズをするのではなく カラダが喜ぶ心地よい在りようを知ると、自然にその使い方をカラダ自ら選択することを実感。
今回は、限られた時間で 今の自分に必要なカラダの使い方をもう一度見直すことにしました。
これまでの5回は、カラダに焦点を当てたレッスンだった。
先生方お二人は、フェルデンクライス・メソッド をベースにピラティスや野口整体 その他様々な要素を取り入れて、一人一人違う その時々にも変わる カラダに合う方法をとられる。
私がヨガを長年続けているので、ヨガの好きなポーズを基にカラダを使ってみたり。
常にカラダの声に耳を傾ける。
カラダが喜ぶことは、どんどん取り入れる。
カラダの声と思考とは別として捉える。
そして6回目の今日。
トマティス・メソッドを用いたレッスンとなった。
朝から頭痛と胃痛で、カラダが重たかった。寝坊もして何も食べず、持参するはずの英語の文をプリントした用紙も忘れて出てきてしまった。
最初、モモウォークという 椅子の上でお尻歩きをして今日の自分のカラダをチェック。
そして お借りした英語のプリントを6行くらい、数回声を出して読む。
老眼で読めなかったり、思うようにすらすら言葉が出てこなかったり、発音悪かったりで突っかかりまくった。
でもだんだん慣れてきたところで、特殊なマイクつきのヘッドフォンを装着して音読を続ける。
なんかザワザワとしたノイズが多く聞こえる。
右腕をグルグル回しながら続けることを指示されたら、突っかかることが減った。なんとなく言葉がスラスラ言いやすい。
2回くらい読んでヘッドフォンを外す。
先生と喋る。
どう感じるか、質問される。
話していて、自分の声が耳障りで、これまで平気だったのに何故かもの凄く詳細に自分の声が聞こえてしまう。
このままこの聞こえ方をしたら、気が狂いそうなくらい!!
そんなことを話す。
今までと聞こえ方がどう変わったか。
自分の声というのは、耳から聞こえる気導音だけではなく骨導音も聴いていること。日本語は喉を多用する言語なので、骨導音を多く聴いてる傾向があることなどを説明される。
自分の耳で聴くということは音楽を演奏する際にとても大事なことで、自分の演奏を聴いているか聴いていないかで音が変わることを知っている私にとって、自分の声を耳で聴いていないことの意味は良く理解出来た。
そんなことを先生に話している途中で、自分の声とカラダが急に変わったのをもの凄く感じた。
声が急に部屋に空気に振動して響いているのが聴こえ、カラダが朝から詰まっているような重苦しさが消えて、空洞な感じ。そして頭がグングン上に伸びていく感じ。
うわ~~~、なんだこれは?! 面白いくらい急に変わって、頭痛も胃痛も無くなりカラダがすっきり。
録音して聴く自分の声って 普段感じている声と違って聴こえて あんまり好きではなかったけど、今の声なら嫌じゃないってくらい声が違う。
後で先生から聞いた ことによると、ヘッドフォンは自分の声を 低周波をカットして聴こえるようになっているそうです。(高周波の音を強めて・・・、と先に記しましたが先生に確かめたところ低周波をカットしたのだそうです)
私はそのときの自分の声は、声の形が立体的に見えるみたいに感じられて、いつも何気なく喋っていることが全部音として見えてしまうことで、気が狂いそうになったのでした。
自分の声を骨導音と空導音とバランスよく聴ければいいのでしょうが、どうやら耳を殆ど使わずに聴いていたことで、カラダの中に音が詰まっている感じだったようです。
上手く表現できていないかもしれません。
私の受け止めたイメージはこんな感じです。
でも この声の出し方、聴き方をすることで、カラダの感覚もこんなに違うとわかりました。
自分が演奏する時には確実に耳を使って音を聴く癖がついていますが、普段の生活では耳の使い方が違っていたのかもしれません。
そして、私にとって演奏する時の耳やカラダの使い方のほうが、過ごしやすいようです。
つまり 演奏している時のカラダの使い方を生活でも活用すれば、体調も良くなるかもしれない。
人と話していると、私は 相手に 「重い」「疲れる」 と言われてしまうことが何回かあったのですが、もしかしたら話し方も変わるかもしれない。
そんなことを感じました。
今日のレッスンで学んだことが、これからどの様に生かされるか?
楽しみになってきました。